■パチスロの誕生 1965年「オリンピアマシン」登場

遊技産業において、パチンコとともに市場を支えるパチスロ。現在では、ゲーム機世代と呼ばれる若年層に訴求する市場拡大ツールとしても期待を寄せられているが、このパチスロの由来は意外と知られていない。

 ここではパチスロ誕生から今日に至る経緯について、その歴史をひもといていく。

 第1回はその誕生について。

 まずパチスロとは、パチンコ店などに設置されるスロットマシンである。いわゆるカジノマシンと大きく異なる点は「技術介入」があることだ。だからこそ、ギャンブル機ではなく、遊技機に位置づけられる。遊戯ではなく“遊技”。書いて字の如しだ。

 この技術介入というゲーム性の採用と、硬貨ではなくメダルを使用することで正式に警察の許可を取った遊技機が、東京オリンピックの翌年(1965年)に市場に登場したいわゆる「オリンピアマシン」と呼ばれる機械で、その名前は東京オリンピックに由来する。しかしながら、このオリンピアマシンはパチンコのチューリップ人気に押され衰退。いったん、幕を閉じることになる。

 そして再び、77年にアップライト型のスロットマシン『ジェミニ』が登場。3メダル、5ライン、ボーナス搭載、リール制御と役判定に「メカ式」(レバーを引いたスプリングの力でリールを回転させ、最終的に停止した絵柄の組み合わせで役判定を行うシステム)を採用し、市場デビューを果たした。

ただ、当時で約70万円という高額な本体価格(付帯設備機器を含めると1台当たり100万〜120万円の導入コスト)、加えて形態上1台ずつ分離して設置せざるを得ないデメリットから目覚しい普及は見られなかった。だが、これら課題の発見が次のステップへと進む契機となり、3年後(80年)、現在のスタイルの原型となる“箱型マシン”の登場につながっていく。その第1弾が「パチスロパルサー」だ。

 山佐の看板ブランドとして認知されている「パルサー」はここから始まり、同時に“パチスロ”という言葉も使用されるようになった。

 この『パチスロパルサー』は、CPUとステッピングモーターの組み合わせで、飛躍的に小型化を実現。パチンコ島への設置を可能にした。また、出目をテーブル制御で決定。いわゆるリーチ目を何百、何千と用意し、パチスロの魅力を拡大した。さらに、パチンコ島に設置できることから付帯設備も不要になり、本体価格も40万〜50万円と、アップライト型と比較してはるかに安価な導入コストを実現した。

 また同年、パチスロメーカーによる団体「日本電動式遊技機工業協同組合」が設立。遊技業界や社会に対するパチスロの認知向上に向け、組合として積極的に活動を展開するようになった。