■世界と国民から問われるパチンコの在り方

■世界と国民から問われるパチンコの在り方

 「パチンコは不要不急産業」

 戦時中の1942年にその“指定”をうけてパチンコ営業が禁止されたことを知っている人は少ない。この“不要不急”の語感は記憶に新しい。昨年の東日本大震災直後の石原慎太郎・東京都知事発言だ。

 戦後、闇市で復活したパチンコは、子供の遊技として景品を提供するようになり、大人の娯楽として定着していくが、言うまでもなく“換金”はなかった。換金が出てくるのは52年の連発式からで、1分間に130〜150発以上発射できたから見返りとしての出玉も多くなり、射幸性が高まった。実はこのころから、のめりこみが社会問題になっていた。54年、警察法改正で警察庁が誕生し、風俗営業取締法にパチンコも包括されたが、連発式が全面禁止されたのは55年。この連発式によるパチンコブームで、景品の自家買い、暴力団などの景品買いが生まれた。その暴力団排除で編み出されたのが、大阪がルーツの「三店方式」だった。

 戦後に復活したパチンコは手軽で身近な時間つぶし、ストレス解消の遊びで、当たれば景品を持ち帰れる庶民のささやかな娯楽だった。これが現在の20兆円産業にまで膨張したのは、ギャンブル性と「換金」によるインフラを拡大しすぎたことにある。

 時代背景は別にせよグレーゾーンとして局部的放任を続けた警察の責任も大きい。行政のその矛盾の隙に甘んじ、いつしか自己膨張が加速していった。

 刑法は賭博を禁じている。パチンコがなぜ禁止されずここまで成長したかは、刑法185条の「但し、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまる」という範囲で許されていただけで、それが換金をスプリングボードに賭博として社会的批判を浴びる産業になった。